2021/3/30 BLOG

高田雨草先生

マ・レルラ デザイナーの
阿部真理です。

こちらをおたずねいただきありがとうございます。

文化服装学院で学ばせていただいたのは、もうはるか数十年前のこと、、
私は高校生まで音楽の道を志していましたが、受験に失敗し、(それがよかったのですが)浪人はさせないと父が言ってくれたおかげで、ピアノ以上に好きだった服飾の専門学校に180度の転換が出来ました。

その頃の私は、出来る自信があった勉強は、高校に入ってみたら、よくあることでしょうが、皆レベルの同じような人が集まるわけで、特別に出来るわけでも、すきなわけでもないことに早いうちに気がついてしまい、確信のないまま、これまた自分の最大限の力を出しきれるとは思えない音楽の世界にも希望を見いだせず、今ここ!100%というようなエネルギーのぶつけどころに困っている、と言う感じでした。

それが紆余曲折を経て入学してみたら、私がいる場所はここだった!と言うワクワク感と情熱を傾ける方向性に確信をもて、まさに水を得た魚、という体験だったのです。

そんな時出会えたのが、高田雨草先生です。

今私がこの仕事をずっと続けてこられた核は、先生に出会えたおかげで、教えていただいたことは私の仕事の指針であり、一生の宝物になっています。

厳しく妥協のない授業と手に追いかねる大量の細目の数々。
結婚式の日に間に合わなければ、ウェディングドレスはなんの意味もない!!と言うわけで約束した納期より前に仕上げるのは勿論当たり前で、仕事となればきれいなのも当たり前!!
デザイン、パターン、縫製、すべてのプロを育成する学校の厳しさは、私にとっては大変ながらも小気味よく、人生を大きくシフトしてもらえたところでした。

大柄な高田先生は、グレイヘアのワンレンで、颯爽と歩かれる姿は、本当に眩しくカッコよくて、でも、そんなことを言えるような雰囲気ではなく、カリスマ性と威厳が溢れ、緊張感なくして近寄れないようなオーラをお持ちでいらっしゃいました。

憧れて、近づきたくて、誉めてもらいたくて、必ず、細目は一番に出す、と言う目標をもち、相当頑張りました。

そのとき頑張った大変さは、今となれば、そんな大したことないことをしていたわけですが、当時の私にとっては、エベレスト級。
あんなにあの時頑張った!と言う指標になりました。
その後、働くことになるアパレル業界は、今は改善されたかもしれませんが、相当ブラックな業種でしたから。

先生は、卒業の時、「今までは先生と生徒だったから、大変厳しくしました。でも明日からは違います。対等ですよ。」とおっしゃられ、本当に言葉通り、やさしく励まし、誉めてくれ、相談にのってくださいました。

青山のアトリエには何度も足を運んでくださり、ランチもよくご一緒させていただき、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
難題に差し掛かると先生に教えを請い、ヒントをいただき、本が出る、展示会をする、とお知らせするとかならず駆けつけてくださいました。
困ったら相談する先生がいてくださる安心感、頑張ったらわかってくださるうれしさは、本当に掛け替えがなく、先生ならなんとおっしゃられるかな、と想像しただけで満ち足りた気持ちになれました。

退職されると同時に水墨画の表現者、先生として活躍されたその作品は、力強さ、激しさ、やさしさがほとばしるすごいものでした。

数年前、突然、旅立たれ、ぽっかりと空いた穴をまだうめられていない気持ちがします。もう充分、先生から教えを受け、その年齢に充分差し掛かっているのに私はあんなに人に与えられているでしょうか。

故郷の青森に姪ごさんが「高田雨草水墨画館」を開かれました。
お墓参りに行きたい!と毎年思いながらまだ行けていません。

「今はいいけどね、静と動の趣味をもちなさい。仕事じゃなくね。40代から準備した方がいい」とおっしゃってくださったのに
「先生!私今も仕事しか興味もてません。全てが仕事と繋がっちゃってます。」って言ったら何ておっしゃるでしょう。

高らかに笑われるお声が、今もしっかり思い出されます